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diary

花の記録 ラナンキュラス シャルロット

花の記録 -02-

ラナンキュラス シャルロット
 
突然変異の一輪として見つかった花。
私がこの花と出会ったのは、今から20年ほど前のことです。

その姿に心を奪われ、どうにか商品化できないだろうかとお願いしたのも、その頃でした。
育種家さんや生産者さんの力で、まず球根を増やすことから始まりました。

性質が安定するのか。
生産として成り立つのか。

試験栽培が何度も繰り返され、花は少しずつ形を整えていきました。
そしておよそ10年ほど経った頃、ようやく一定の数を作れるようになりました。

その後、この花に名前をつけてほしいと依頼されたときの喜びは、今でも忘れることができません。

考えに考えて、
「シャルロット」と名づけました。

最初は無垢で可愛らしく、
やがてどこか大人びた表情を見せる。

その少し生意気なほどの成長の姿を、映画『生意気シャルロット』の印象と重ね、
シャルロット・ゲンズブールの名前を使わせてもらいました。

この花は、店で必ずお客様に尋ねられる花でもありました。

「これは何の花ですか?」

そのたびに
「ラナンキュラスなんですよ。名前はシャルロットです」
そうお伝えする時間が、私にとって小さな誇りでもありました。

やがて出荷量も増え、
多くの花屋さんのもとへ届くようになりました。

最初のピンクから、
濃いピンク、淡いピンク、オレンジ、ベージュ、イエロー。

色のバリエーションも増え、
ラナンキュラスの中でも特に愛される品種へと育っていきました。

さらに驚いたことに、
今ではオランダやフランス、アメリカなど海外にも輸出されています。

あのとき私が感じた
「なんて可愛い花なのだろう」という直感が、
20年の時を経て、
多くの人に愛される花として育っていったこと。

そして、その花に名前をつけさせてもらえたこと。

それは私にとって大きな名誉であり、
今でも心を励ましてくれる小さな種のような出来事です。

この花はこれからも、
色を増やし、姿を変えながら成長していくのでしょう。

ラナンキュラス シャルロットという花は、
育種家、生産者、市場の方々――
多くの人の情熱によって生まれました。

その物語に、ほんの少し関わることができたこと。

それは、花の仕事をしてきた私にとって
勇気を持って生きる意味を教えてくれた出来事でもあります。

春の市場で見かけると、
つい手に取ってしまう花。

ラナンキュラス シャルロット。

この花とともに、
冬を越え、春を迎える花屋の時間を、
これからも静かに重ねていきたいと思います。
 
 
 
ーーーーー並木容子


 
 
 
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2026-03-10 | 日本の切花, diary

花の記録 ラナンキュラス オルレアン

花の記録 −01-

ラナンキュラス オルレアン
  

   
幾重にも重なる薄い花弁は、
触れればほどけてしまいそうなほど繊細でありながら、
中心へ向かうほど密度を増していく。
 
 
ラナンキュラスは、低温期にじっくりと育てられる花だ。
寒さの中で力を蓄えた株は、数百枚に及ぶ花弁を抱え、
ひとつの蕾の中に緊張感を秘めている。
 
 
オルレアンという品種は、とりわけ花弁の重なりが美しい。
外側の花弁がほどけはじめると、
その奥にさらに小さな花弁が現れる。
その先端だけが、かすかに赤い。
 
 
それは咲き進んで初めて見えてくる構造であり、
店頭で並ぶ段階ではまだわからない。
家に飾り、日ごとにひらく姿を見つめるなかで、
ようやく気づく奥行きだ。
 
花は、時間をかけて本質をあらわす。
 
 
日本の切花は、
生産地の冷たい空気や光、
栽培の手間と緊張感をそのまま抱えて市場に届く。
私は、そうした背景ごと花を見てきた。
そしてこれからは、その構造や気配も含めて記録していきたいと思う。
 
その静かな変化ごと、
手渡していくために。
  

 
   
── 並木容子

 

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2026-03-08 | 日本の切花, diary

Flower Journal 3 〜 ひかり〜


 
春を訪れを感じるような光に溢れる瞬間が増えてきました。
特に黄色い花は太陽の申し子のように、
その光を体いっぱいに受け止めているように見えます。
 
ミモザは毎年、お隣さんのお庭のものをいただいていて、
そのふわふわした質感にホッとして、
両手いっぱいに抱えて、大切に花瓶にいけさせてもらっています。
 
今年は特に自分の時間に余裕のあるせいか、
より丁寧に活けることができましたし、
たっぷりゆっくり楽しむことができています。
そんな時間が持てていることが嬉しくて幸せで、
そして、またミモザを眺めてふんわりした気持ちになっています。
  
花を飾るって本当に幸せなことですよね。
 

 
 
おかげさまで連日のリハビリも急に成果が出てきて、
時々一人で歩く練習ができるようになりました。
 
アレンジメントのレッスンの時、よく生徒さんから
「なかなか上達しない」と相談されることがありましたが、
その度に
「アレンジはゆっくり上達することはあまりなくて、
 ある日突然、あれ?というくらい上手くできる日が来るの。
 坂道じゃなくて急な階段なのよ」
とお答えしておりました。
 
実際その通りで、
私自身はずっと同じお話しをしているのですが、
ある日急にストンと腑に落ちる瞬間があるようで、
突然「そういうことがだったのですね?」と理解されたり、
それが実際に言葉にならなくても形になって現れたりする、
そんなことが時々あるのです。 
 
そういう時「ああ、この方は一段階段を上られたなぁ」と
私まで嬉しくなってしまうのです。
でも、その階段を登れる日は、
今日なのか明日なのか、半年先か3年先か、
人によりますし、環境もあることなのでそれぞれ様々で、
その間を辛いを感じることがあるのかもしれません。

 
しかし、まさか自分のリハビリも同じような展開になるなんて、
辛いリハビリの日々から、ある日突然急に歩けるようになるなんて。
なかなか成果が出ないと少し気落ちするものですが、
全てのことは階段なのかもしれませんね。
 
平坦な道を歩きつづけるのは、先が見えなくて辛いですが、
ある日大きな段を登っていて、
振り返るとそれはすごく高い段だったりするのかも。
 

  
人は光のある方向に希望を見出して、
できれば、そこまでの道がなだらかな坂道だと、
なお、希望が叶う気がして、
ずっと先の光を見つめて先を急いだりするものですが、
本当は目の前の小さなことが大切だったりして、
その小さなことに気づけた人だけが、
先の光を掴むのかもしれません。
 
 
 
 
そういえばそんな文章を拙著「イラクサの小道の向こう」
書き出しに書いたような記憶が蘇ってきました。
同じようなことを書くなんて、
ちっとも成長してないってことですね。
日々の雑事の中で、大切なことは見失われてしまいがち。 
時々思い出して、ちゃんと考え直せばいいのですよね。
 
 
久しぶりの拙著、読み返してみましょうか。
 
「イラクサの小道の向こう」アノニマ・スタジオ
 
絶版ですので、ご希望の方はAmazonなどの中古でお求めください。 
 
✴︎そして、今確認のためAmazonのページへ飛んで
この本のレビューを読みました。
どこのどなたか存じませんが、
とても嬉しいレビューをありがとうございました。
素敵な方々に読まれていたと知り、
20年近く経った今、改めて嬉しく有難く思います。
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 

 
 

2026-02-24 | diary
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